大崎町本校区は,世帯数350戸,人口約1300人で,曽於郡大崎町の北東部に位置し,北は志布志市原田小校区に隣接しており,西は本町大崎小校区,東と南は本町菱田小校区に接している。
海抜約52mの台地にあり,周囲は起伏のない平野が広がる畑作地帯で,野菜作りや甘藷栽培が盛んである。
大崎町から曽於市を結ぶ「そお街道」と,志布志市と鹿屋市を結ぶ通称「グリーンロード」が交差する交通要所に位置していることから市街地との交通の便がよい。自然環境だけでなく,学校近隣に高齢者養護施設や障害者支援施設があり,「健康・福祉」に関する社会環境にも恵まれている。
戦前まで小作農民が95%を占めていたが,戦後,農地改革により再出発した際,学校設立運動も起き,旧地主による土地の無償提供で,昭和24年4月,菱田小学校中沖分校として開校し,昭和26年4月に中沖小学校として独立した。
現在も,地域住民の力で学校を創設した誇りと自信が伺える。また,歴代PTA会長が公民分館役員の要職を担いながら学校の教育活動に積極的に協力している土地柄である。
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![]() 役員協力 |
![]() グランドゴルフ |
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![]() プレゼント活動 |
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中沖校区は,広い平野にあるが,明治のころまでは放牧地で,牛や馬が飼われていたそうである。「千間掘」という囲い柵が作られていて,その馬番をされる方々が垂水の牛根地区出身の方々だったそうである。
大正時代の桜島の大噴火で土地をなくされた牛根地区の方々が,当地の親戚を頼って数多く移住され,荒れ地を開墾し,農地を切り開かれたそうである。昭和に入り,人々の生活が安定してきて,秋の余興で踊るため,中沖西集落の方々が牛根地区に伝わる棒踊りを復活させられたのが「中沖棒踊り」の始まりであったと聞く。各集落でも,それぞれに郷土芸能が踊られるようになったが,最も長く引き継がれてきたのが中沖西集落の棒踊りであった。
現在では,小学校4年生以上から中学1年生までが運動会前に練習し,校区運動会で披露している。一昨年,「中沖キッズ地域もりあげ隊」の地域塾を結成するに当たり,伝統芸能である棒踊りの継承活動を活動の中心に位置付けた。中沖棒踊りの継承活動は,地域活性化にも大きな影響を与えている。
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